さあ、一日をはじめよう
どうにもこうにも、一日をはじめられない日がある。
ウルトラ忙しい日は、目が覚めてからその一日が、まるでどう始まってどう終わるか、あらかじめ知っていたかのように、こなしていく。
我ながら感心。ヤッホー!天才なのであろう!ビバ!わたし!!
なのに、少し余裕がある(振り返ってみるとどうも余裕があったのであろうと思われる)日は、普段から抱えている課題が猛然と襲ってきて、文字通り右往左往してしまう。
右に左に振り子のように揺れる思考を、片耳にイヤホンを入れることでまずは、なだめにかかる。なんでもよいので日本語(直訳的日本語であるとなお良し、Netflixドキュメンタリー、さんくす。内容を理解していないこと多、そーりー。)を、放り込んでいくことで、頭の中でくるくると対流しているToDoの数々がゆっくりと沈殿する。
ここからは、仕方がないのだ。優先順位を考えてからとりかかるというようなことができる人間であればと、一生憧れ願い続けることしかできない。洗濯機からからまった洗濯物をとりだすように上から引っ張り出しては、風に吹かしちゃ、見る。行う?置く?走る?留まる? すでに後悔と反省で迎える終日となる予感しかないが。。
ごめんなさい、すみません、これは、、この様な訳で、。
だれに説明し、誤っておる?
これでいいのだ。できることしかできない。終わりの日まで我を愛せ、自分。
さあ、一日をはじめよう。